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スティーブ・ジョブズの死がこれほどまでに悲しいのはなぜか

スティーブ・ジョブズが亡くなって2週間ほどが経ちました。今日はアップルの本社で社員向けの追悼式があったようです。

私自身アップルのエコ・システムにどっぷり浸かっていて、人からは信者と言われるほどです。本人は盲目的にアップルやジョブズを崇拝しているつもりはありませんでしたが、彼の死は、まるで親しい友人を失ったのと同じぐらいの衝撃を私に与えました。会ったこともないジョブズの死が、なぜこれほどまで悲しいのだろう?という私の疑問に、少なくとも同じように感じている人が他にもいるということを教えてくれたのが以下の記事です。

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スティーブ・ジョブズの死がこれほどまでに悲しいのはなぜか

レックス・フリードマン、Macworld.com 2011年10月7日午前4時 / Macworld

TwitterFacebookで、メールやIMを通じて、同じ問が繰り返されている - どうしてこんなに悲しいのかと。一度も会ったことのない人の死に対して、自分の心はなぜこれほど激しく反応するのだろうかと。

我々の多くは、スティーブ・ジョブズの死に接し、途方もない悲しみを感じている。私の友人達がスティーブの死からどのような影響を与えたのかを代弁することはできない。しかし、想像するに彼らの涙の理由は私のそれと同じではなかろうか。

ようこそ我が家へ

RIMのCEO達の名前はどちらも知らない。GoogleのCEOのラリー・ペイジの名前は知っているが、正直言ってリストの中からどれが彼か当てろと言われたらわからないし、ラリーが話す声を実際に聞いたことがあるかどうか覚えがない。けれど、スティーブ・ジョブズなら、その容姿も話すときの声もはっきりと分かる。すべてのCEOが自社の製品を華麗にプレゼンできるわけではないし、そうあるべきだとも思わない。しかし、私がスティーブの基調講演やアップルのイベントでのプレゼンを見て感動するのは、あの誰もが絶賛するショーマンシップのせいばかりではない。ジョブズが仕切るイベントが、見ていてとてもエキサイティングなのは、発表する製品に彼が抱いている情熱が本物であり、それが手に取るように分かるからだ。スティーブは単にアップルを経営していたのではない。彼はアップルを愛していたのだ。彼の表情には、その愛と誇りで輝いていた。

テレビの役者なら知らない人でもうちにあがってもらってもいいという人がいる。なぜならテレビの役者は毎晩我が家に姿を現しているのだから。アップルのイベントのたび、スティーブもうちに姿を現した。Macのあるところならどこにでも。私はいつも、まずはライブログに目を通し、それからアップルがビデオを公開するやいなやそれを見たものだ。彼のインタビューも数えきれないほど見てきた。彼の死が私にとって衝撃的な理由の一部は、私が彼をまるで知り合いのように感じているからだと思う。たとえ彼が私のことを知らなくても。

ジョブズの作品

もう一つの理由は、アップル製品に感じる親しみやすさにある。私たちは知識の上では、iPadを作ったのもMacBook ProをデザインしたのもiPhoneを発明したのも、スティーブ一人の力でないことは理解している。しかし、これらの製品に彼の精神が刻み込まれていることは明らかだ。それに私は自分のiPhoneを単に使用しているのではない。iPhoneを愛しているのだ。MacとiPadにも同じことが言える。文字通りではないが、アップルの見事にデザインされた製品を使っていると、スティーブ・ジョブズが自ら手を触れ、そこに署名し、自ら私のために用意してくれたテクノロジーを使っているような気になる。

現在の家庭用コンピュータの発明は、まさにスティーブとスティーブ・ウォズニアックとの功績によるものだ。インターネットの存在は直接的にはアップルによるものではないが、今日世界がこれほどつながりあっていると感じているのも、彼らのビジョンなくしてはこうはならなかっただろう。私がニュージャージーの自宅にいながらサンフランシスコの会社に勤められるのも、ニュージャージの自宅から、なんとイスラエルにいる甥や姪たちとビデオチャットできるのもインターネットのおかげだし、インターネットが今日このようにあるのはスティーブの影響力あってのことだと信じている。だから、スティーブがいなくなって悲しい理由の一部は、やはり彼は私のことを全く知らないが、私の人生に対する彼の影響力が非常に私的だからだ。

そしてまた、アップルがどれくらいの製品をひっそりと開発計画にのせていたとしても、スティーブが会社の将来に対してもはや直接的影響力を持っていないのが悲しい。アップルはCEOティム・クックのもと、今後もきっと成功し続けるだろう。しかしながら、もはやスティーブ・ジョブズがアップル製品の詳細に対して決断を下すことはないのだと考えるとこの上ない失望を感じる。

ジョブズという人

スティーブの与えた影響については以前すでに書いた。その影響力はテクノロジーをはるかに超えていた。スティーブが会社を興したのでなかったら、もちろん必然的に私は今日Macworldで記事を書いていないだろう。だがスティーブのおかげで実際私がMacworldで働くようになったのには、もっとずっとはっきりとしたきっかけがある。私は、彼のこのしばしば引用されるスタンフォード大卒業式でのスピーチを聞いて、とあるキャリアを去ってもっと情熱を傾けられる別のキャリアへ進むことを決意したのだ。

私は、自分をつき動かし続けてきたのはただひとつ、自分の仕事を愛しているという事実だけだと確信しています。みなさんも、ぜひ愛せるものを見つけてください。そしてそれは仕事について言えるのと同時に、恋人についても同じことが言えるのです。仕事は人生のかなりの部分を占めることになります。ですから、本当に満足したければ、素晴らしいと確信できる仕事をすることです。そして素晴らしい仕事をする唯一の方法は、自分の仕事を愛することなのです。まだそれを見つけていないなら、探し続けてください。腰を落ち着けてはいけません。

スティーブ・ジョブズのインタビューを見ると常にインスピレーションを感じる。私の長いお気に入りに、ある年のD8カンファレンスで彼が自分の経営スタイルについて答えたものがある。重要なのは最高のアイディアであって組織階層ではないと考える彼の回答は目新しくも革新的でもなかったが、彼の言葉の明白な率直さに私は打たれた。

我々皆と同様、スティーブにも欠陥がなかったわけではない。しかし、もっとも惜しまれるのは彼の情熱だ。彼は紛れもなく頭の切れる人物だったし、彼の言葉は彼の業績と等しく感動的だった。もはやそのいずれも見聞きすることが叶わなくなったということが何よりも悲しい。

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ソース: Macworld - Why Steve Jobs's Death Feels So Sad by Lex Friedman, Macworld.com Oct 7, 2011 4:00 am (http://www.macworld.com/article/162833/2011/10/why_steve_jobss_death_feels_so_sad.html)